代表の福井 伸です。ここでは弊社が染色の仕事を導入する経緯について、少し長くなりますがお話しさせていただければと思います。

私が初めて染色をするきっかけとなったのは、染工場に染料を販売する商社に入社(2000年)してからになります。入社してすぐ染色試験室(ラボ)と呼ばれる部署に配属され、毎日色合わせ試験を行う日々がスタートしました。これが私の行う初めての染色でした。

染料販売の会社は染工場で染めるレサイプデータを作る作業を代行業務としてサービス提供していましたので、ラボでは主にその色見本づくりを行いました。

染工場の顧客先であるアパレル会社デザイナー等の色指示を忠実に再現できるように試験染めを繰り返し行います。この色合わせというのは主にイエロー、レッド、ブルーの3原色を配合させて色を作っていくのですが、慣れないうちは1つの色合わせを行うのに何時間もかかってしまって大変な思いをしたものでした。

また染工場を飛び越してあちらこちらの知らないデザイナーからひっきりなしに催促の電話が入ってきたりと、精神的にもかなりキツイ仕事です。今思えばあの当時の経験が現在大変貴重な技術となり生かされているので、とてもありがたいことだったのですが、当時の私にとって楽しいと思える仕事ではなく、なんとか早く一人前になって営業として外回りの仕事に就けないものかと毎日考えていました。

入社して半年くらい経った頃、ようやく念願の外回り営業に上司に連れられ出ていけるようになりました。私の会社は大阪、京都、奈良の3都市にある染工場と取引していて、大阪は綿の染色、主にニットの原反を染めている工場が多くありました。奈良には地場産業であるパンスト・ソックスを製品染めしている工場が、京都には手工芸の工場や織物を染める工場がありました。染工場といってもそれぞれ染める品が違うと機械や工場の作りまで大きく変わることに驚きます。原毛、糸、ニット地、織物、製品等、同じ繊維でも形状が変わると染める機械がまったく違ってくるので、見事なまでに専業化が確立されておりました。

この頃すでに染工場の良い時代は終わりつつあって、どこに行っても「昔はよかった話」になってしまい、先行きの不安感を口にされる経営者の方が非常に多かったです。生産のほとんどが海外に移され、国内の生産量は毎年減少していき、いつ廃業してもおかしくない、そんな話ばかり聞かされていました。当時私は25歳でしたので、親切な染工場経営者のお客さんに至っては「今からでも遅くはないからこんな業界辞めて他の道を探しなさい」とまで心配されてもいました。

しかし、この業界全体を覆う大きな閉塞感は、実のところ私にとっては大変魅力的でありました。なぜなら当時の私の大きな夢の一つに、実家のクリーニング工場に染めの仕事を取り入れるという考えがあったからです。

現在ある染工場の大きな問題点は、規模が大きいために生産量が少なくなってきている現実に十分対応できていないということでした。わずか数kgの染色依頼に対して30kg、50kgを一気に処理できる加工機械を動かすという無駄が日常的に生じていたのです。また、あまりに生産のすみわけが確立されすぎていて、専門外の加工を受けることに消極的だったのも問題だと感じていました。

加工の全体量が減ってきているにもかかわらず、新しい素材への染色にトライする気概がこの頃の工場からはあまり感じられませんでした。これはリスクを大きく伴うことでもあるので仕方がない面もあるのですが、当時の私はこのような業界の実情を肌で感じ、小ロットかつ素材形状を選ばない加工工場があればまだ充分な需要があるのではないかと考えるようになったのです。

入社3年目(2003年)に染料販売会社を退社し、実家のクリーニング工場に戻ることにしました。当時は染工場の廃業が多く、染色機械の入手が容易であったことが私の決断を早めました。今となっては考えられないような高価な機械が破格の低価格で放り出されていたすごい時代です。私はできるだけ様々な形状の品を染められる数種類の機械を選び、加工処理量は見本機として使われていた小型なものを中心に導入しました。ラボで使用していた試験用の染色機も導入して、多様な案件の仕事に対応できる体制を組みました。また、従来からあったクリーニング設備も併用して使えるのでさらに業務のバリエーションが広がりました。プレス仕上げまで行える染工場は今でも滅多に存在しません。ここに私の目指していた「あらゆる仕事内容に小回りを利かせて対応できる工場」が完成しました。

現実問題として、設備だけ導入しても現場経験のない私が業務を遂行していくのは困難を極めました。しかし大変ありがたいことに、染料販売会社時代の上司や染料薬品メーカーの営業・技術の方、多くの染工場現場スタッフの皆さまから快くアドバイスを受けることができる立場だったので、業界に入って4、5年の駆け出し染色職人ではありましたが、なんとか工場を軌道に乗せて現在に至ります。

工場は当初思い描いていた理想の形になりつつありますが、いつまでも現状に満足することなく新しいことに挑戦する努力を惜しまぬよう、これからも邁進していく所存です。

長くなりましたが、弊社の染色事業を導入するに至るきっかけについてご説明いたしました。これをもってご挨拶に代えさせていただきます。